前略、ドデカ愛の真ん中より

※個人の感想です

踊る様に、溺れる様に

2022.9.12(火)大阪Live House Pangea

The Floor Tour 2022「One Answer」

The Floor / Half time Old

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 ライブを見ている時、ふと瞼を閉じてみることがある。五感のうちの一つを自ら投げ出す行為に何か意味がある訳では無い。「音に集中できる」「振動を感じやすくなる」くらいのことはあるかもしれない。でも本当に意味は無い。でも、目を閉じる度に頭の中に浮かぶことがある。

 

 これが最期の思い出だったら幸せだろうなあ。

 

 

 ライブハウスに自ら足を運ぶようになってからまだ日が浅い私が言うのも何だが、私はHalf time OldとThe floorのツーマンがこの世のツーマンの中で一番好きだ。どちらも、違う角度からライブハウスで私の心に強烈な何かを残していったバンドだ。この日の大阪に、行かない手は無かった。感想を言おうとすると「楽しかった‼️‼️‼️」に尽きてしまうので、この旅を通じて私の中にある何かがゆっくりと変わっていった話をする。

 

 

 広島でも大阪でもセトリ入りしていた『愛してるよ』という曲は、私がハーフの曲の中でも特にライブ映えする曲だと思っている。初めてイヤホンで聴いた日のことも、初めてライブハウスで聴いた時のことも鮮明に覚えている。ライブ映え力がバケモン級に良い。

 でも、私はこの曲に対して少し拗らせた感情を抱えていた。戦ツアーでこの曲を浴びていくうちに、この曲に込められたバカデカい愛を私なんかの器じゃ受け止めきれないような気がしてきていたのだ。私も音楽が好きだし、それなりに音楽のことを愛している自覚はある。でもこの曲に込められているそれはそんなもんじゃなくて、でもそこから先が上手く言えない。言葉にしたって伝わらないなら何がツイートだ、何がブログだ?私は心の底から音楽を愛せているのか?疑問を感じてしまうような器で愛を綴ってもいいのか?それをありのまま文章にしてしまうような人間でいいのか?

 きっと私はひねくれているんだろう。彼らに向けている感情だけがバカみたいに大きくて、そのくせに彼らのまっすぐな音に、想いに、まっすぐ目を向けきれない。20年と少し生きているうちに、いつの間にか他人のクソデカ感情に身を任せるのが段々怖くなってきていた。

 ここまで書いたことを言葉にしたのはこれが初めてだ。本当に誰にも言ったことが無かった。多分。今までモヤァ~っと心の中にあった何か。今この瞬間、やっと全てを世に出した。

 転機になったのは9/10の広島だ。久しぶりに、あんなに後ろからHalf time Oldのライブを見た。愛してるよがセトリ入りしていた。前にいるThis is LASTのファンの人達が、ステージから溢れるクソデカ感情に拳を掲げていた。目の前が腕と拳で埋め尽くされていた。なんだか久しぶりに見る光景だ。きっと、初めてHalf time Oldのライブを見た時ぶりくらいの景色だ。今目の前にいる人達の大半はこの曲を初めて聴いたのだろう。迷いがちに拳を上げる人もいる。でも、間違いなく目の前にあったのは、音楽を愛している人達が巻き起こした愛情の洪水だった。

 

 そうか。受け止めきれないのなら、いっそのこと身を任せて溺れてしまえばいいんだ。

 

 2日後の大阪。広島とはまた全く違う光景になった私の視界には、ただただまっすぐな愛があった。音があった。歌があった。曲中に目を閉じてみたかどうかはもう覚えていない。でも、そのまっすぐな愛の洪水に身を任せて溺れた。そして、何度も何度も心の中で叫んだ。「愛してるよ」、と。

 溺れたとて死にゃしない。そこから浮き上がれなくなったとしても、Half time Oldならきっと大丈夫だ。自分が心の底から好きになったものをもっと信じろ。きっと大丈夫。私の人生にはHalf time Oldがついている。背中を預けたくらいじゃ、感情の全てを捧げたくらいじゃびくともしないだろ?

 

 そんなこんなで長旅は終わっていった。終わって欲しく無かった。けど、人生もライブもまだまだ続く。まだ肺を満たし続けている愛で、私は生きていける。これが最期の思い出だったらなあ、を繰り返して、愛故に私の存在は続いていくのだ。