dB聴きたくない人、いねえよな~~?!!??!!
理想の大人になれなかったことでお馴染み(?)、『身体と心と音楽について』収録の「dB」。ハーフのライブに来る友達、みんなdB好きだよなあ……。この曲の時は必ず(多分)小鹿さんがレスポールに持ち替えるので、ステージにレスポールが置いてあるだけでワクワクと動悸が止まらなくなる身体になってしまいました。知らん間にパブロフの犬みたいな状態になっちゃったよ。レスポールの犬だよこれじゃあ。身体と心と音楽について、ってそういう事なんですか?
動悸が止まらなくなる色味をしている
なぜ人はdBを求め、なぜdBは人に求められるのか。この曲が生み出す熱狂の源を、自分なりに考えたいと思った。
イントロのギターで、うわぁ~!!!好き~!!!!ってバカデカ感情に襲われました。助けてください。「最低な世界だずっと」に「せやな!!!!」ってなるし、就活に失敗しまくって理想の自分になれなかったドリーマーと化していた時のことを思い出していた。最低な世界だったよ、面白いくらいにボロボロだったよ、ずっと。
何がいいって、まずイントロがめちゃくちゃ良い。〝潔い〟のだ。dBのイントロ(歌詞が始まるまでとする)はちょうど10秒。比較として、同じように「ギター単体のイントロに他の音が合流してくる」構成だなあ、となるアナザーロードのイントロは19秒。なんとも潔い尺だ。サブスクが普及した昨今、音楽のイントロはどんどん短くなる傾向にあるらしい。ワンタップでなんでも聴けてしまうようになった文明の弊害か、はたまた進化か。だが、この曲を語る上ではそんなことはどうでもいい。dBは、この短いながらも濃厚なイントロが、きっと最適解なのだ。
dB初披露となった身心音リリースツアーの横浜のライブ映像を改めて見てほしい。
Half time Old on X: "ツアー初日サンキュー横浜!! dB (デシベル) #身体と心と音楽について #HalftimeOld https://t.co/zmJWwNJgTv" / X
熱狂の概念を音の形に作り替えたようなイントロが、たった10秒で歌詞に化けることによって、このフロアが出来上がるのだ。ちなみに私は毎回首と腕が取れかかっている(曲中は痛みに気付かない)。
そして、たった10秒で熱量を最大にした瞬間に放たれるワードが「最低な世界だずっと」なのがヤバい。Half time Oldを好きな人間に「最低な世界だ ずっと」なんて言葉が刺さらないわけが無い。みんな心のどこかできっと世界のことを最低で最悪だと思っている(よね?)中で、神様の口からそれを最高のボルテージで肯定されるんだからたまったもんじゃない。いい意味で。でも、そんな最低な世の中になんとなく順応して生きている自分が最低だと思っちゃうの本当に、わかる。なんでこんなにも言語化が巧みなんだろう……神様だ……。
「酒やタバコに乗っけながら話す人生」が本当に良い。わたしは週に一日は必ず仕事帰りにお酒を飲みながら知らん人に人生の話をするんだけど、楽しいながらも心のどこかで「本当にこんなことしてていいのか……?」と思うことがあって、それを「最低は俺の方だ 分かっちゃいるけれど」で肯定でも否定でもない、ただ「分かってくれる人がいる」という気分にさせてくれるのがいいな~と思う。肯定も否定も別にいらなくて、ただ「そういうこともあるよね」みたいなニュアンスの言葉があるだけでいいのだ。きっと。
「気合いで自分を保つ 面白いくらいボロボロになった」はライブに行きながら大学4年生の秋まで就活していたボロボロの私にありえないくらい染みた。やっと内定を貰えた直後にアルバムがリリースされたのでこの曲と共に就活をしていた事実は存在しないはずなのに、「dBに救われながら就活をしていた」という無いはずの記憶が蘇ってくるので困る。多分レッドブルを飲みながら三徹して卒論を書いた記憶とごっちゃになっている。懐かしいな~広島ライブの当日に6時間寝坊して開演間に合わなかったな……あの日もdBがセトリ入りしてて嬉しかったなあ……。
この調子で書いてるととんでもなく長くなってしまいそうなので一旦纏めるが、こんな感じで「フロアぶち上げソング」でもあり「人生寄り添いソング」でもあるこの曲、そりゃあみんな聴きたいよなあ。わかる。
本題はここからである。リリースからずっと考えていることが2つある。
①なぜ、突然「バベルの塔」が登場するのか?
②なぜ、この曲のタイトルは「dB」なのか?
以下、個人的見解です。
なぜ、突然「バベルの塔」が登場するのか?
リリースツアーの時に本人に確認済なのでこの部分は確実にバベルの塔である。「バベルの塔」については下記の通りである。
『旧約聖書』「創世記」に記されたれんが造りの高い塔。物語によれば、人類はノアの大洪水ののち、シナル(バビロニア)の地にれんがをもって町と塔を建て、その頂を天にまで届かせようとした。神はこれをみて、それまで一つであった人類の言語を乱し、人間が互いに意志疎通できないようにしたという。
この曲は一人の人生の話で収まることではないのでは無いか?もしかしてめちゃくちゃスケールの大きすぎる話をしている??なんて考え続けてもなかなか納得できる答えにたどり着けなかったが、8/26のライブ(走光性現象)のdBで、突然脳味噌が爆発するくらいの勢いで“答え”が脳天を貫いていったので、以下に記そうと思う。
バベルの塔を作ろうとしていた人々は、神様によって言語をバラバラにされてしまった。そして塔は立たなくなった。しかし、神様が行ったことは「言語をバラバラにする」のみである。「天まで届く塔を立てる」という共通の目標は残っていた筈である。しかし、結果的にそれだけで「天まで届く塔を立てる」という目標は頓挫してしまった。穿った見方をすれば、「大きな目標という名の綺麗事」では集団は動かず、「意思疎通」が成立してやっと目標達成が可能になる、ということである。「言葉が無くなれば塔も立たず 綺麗事だけじゃ働けんらしい」はそういうことだと思う。「キリがない欲望と全知全能の神様」もバベルの塔関連のワードな気がする。
しかし、人類には唯一無二であり不変の共通言語がある。
「音楽」だ。
被害者面して目標から逃げるのは癪だし、なんなら逃げる必要は無い。人類には、ハーフには、我々の人生には、「音楽」というあまりにも眩しくて強い共通言語がある。だから、「大した問題じゃない」のだ。
「理想の大人になれなかったドリーマー」は、 目標を何かに妨害されて何も出来ないまま時間が経ってしまった、つまりバベルの塔から長い時を経た人類の姿かもしれないし、「空に浮くガレオン船とやらは見つかったかい」はかつて目標を妨害した存在からの煽りなのかもしれない(この辺りは「虹を目指して」と絡めて考えるとまた違う世界が見えてくると思う)。天まで届く塔を立てたのなら、空に浮くガレオン船だって見つかるかもしれないからね。
色々踏まえると、「かっこよくキメて世紀末超えよ人類」か始まる2番のサビは、「音楽」という共通言語を自覚した人類のことを指しているように取れる。気合いだけで案外何とかなることもあるし、形から入ってみることで世界が変わるかもしれない。夢があるなら今からだって理想の大人になれてしまうのかも。きっとまだまだ進めるよ、音と夢があるのなら。
なぜ、この曲のタイトルは「dB」なのか?
そもそも「dB」とは、音の大きさの単位である。
音量は通常「dB(デシベル)」という単位で示されます。デシベルの「デシ」とは1/10を示すもので(容積を表すデシリットルなどの「デシ」)、基となる単位は「ベル」。
先程、「意思疎通が出来ないと集団は動かない」「人類の共通言語は音楽である」という旨の話をしたが、その2点に共通するのは「聴覚」である。五感の中でいちばん明確に他人の意思を汲み取れるのは、きっと聴覚である。時点で身振り手振りを認識できる視覚だと思うが、言語を認識できる聴覚には及ばないであろう。どっちも大事だけど。
人類は集団行動を高度に成り立たせることによって進化し、そして意思疎通が出来ないと集団は動かないので、文明を発展させてきたのは「言語」という名の「音」である。いつだって世界は音に溢れ、音で動いているのだ。だから、タイトルが音の単位である「dB」なんだ。
音楽という「音」を好きである以前に、「言語」という「音」の中で人類は発展してきたという事実がある。進化の根底にあり、かつて人類を助け、乱し、そして今でもすぐ側にある言語。そして、私達を救い、人生を彩ってくれる音楽。この曲の根っこにあるのはそういうことなのかもしれない。このブログを書いている前日のライブ(8/26 走光性現象)のdBを見ていて、突然「言葉だって音だ!?!!!」「音楽って共通言語じゃん!!??」「だからタイトルがdBなのか!??!!!」という気付きが一気に押し寄せてきて、頭が爆発しそうになった。ライブの後で酒を飲みながらなんとか言語化し、その時の記憶とメモを頼りにしつつこのブログを書いている。とりとめがない文章なので分かりづらかったらすみません。
「音楽という共通言語があるから大した問題じゃない」の答えはもう既にライブハウスにある。みんな、dBを愛している。イントロだけで、というかレスポールがステージに置かれただけでボルテージが上がる。どこに住んでいるのかも、本名も、何も知らなくたって、同じ音楽を愛しているというだけで、音楽という共通言語で意思疎通の前提ができている。
私は、dBが大好きだ。色々難しく考えなくともdBが大好きだ。大好きだから、なぜ大好きなのかを言語化したくて、ずっと考え続けていた。その答えを突然くれたのは、音楽だった。百分は一見にしかず、に近いものがあった。今までつらつらと書いた思考の結論が合っていようが間違っていようが、そもそも明確な答えが存在するのかどうか、それは大した問題ではない。ただ、今後もまたライブハウスでdBに巡り会えたらなあ、と思う。そして、音楽という共通言語で、同じ空間にいる人達と同じ熱量を分かち合いたいなあ、と思う。
またいつか、ライブハウスで。理想の大人には、今からでもなってみようかなあ。