前略、ドデカ愛の真ん中より

※個人の感想です

寒空と灼熱と朝陽について

2022.11.22(火)

高松TOONICE 『身体と心と音楽について』リリースツアー

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(撮った写真のほとんどに人が写りこんでてチェキ込の写真しか上げれるのが無かった……)

 

 寒くなってくると、ふとしたことで涙が出てしまう。この日だってそうだった。夜行バスの中で、そっとカーテンの向こう側の街を見た時に訳もなく涙が出てきたり、バスを降りたら朝陽が綺麗で涙が出てきたり。寒さは色々な不安をむき出しにさせるし、心を敏感にする。乗りこんだ交通機関を五体満足で降りられる保証も、ライブが無事に開催される保証も無い。あてもなく祈り、訳もなく泣き、そして音楽に縋る。ずっとその繰り返しで生きているような気がする。

 それでもライブハウスには“救い”があるのだ。それまでの生活でどんな出来事があろうと、嗚咽するくらいに悲しかろうと、きっと何かを与えてくれる。根拠もなくそう信じている。サビついた脳味噌の部品に油をさして、敏感になった心にはニスを塗って、縋りついた腕を受け止めてくれる。初めてHalf time Oldの音楽を浴びたあの日、あの時からずっとそうだ。苦しみもがいては、大好きな言葉と音に救われている。生きることで発生する苦しみがあるからこそ、私はHalf time Oldが好きだ。

 

 香川のライブハウスは暑かった。ステージの灼熱が物理的にこちらにやってくる。音楽の熱に焼かれないようにいつも必死だけれど、あの日はそのまま焼かれて融けて、自分では無い何かになってしまいたかった。行く宛ても帰る宛てもない何かに成り果てて、そのまま消えてしまいたいような気さえしていた。でも、外に出たら当たり前のように寒くて、セットリストにサインを書いてくれている彼らの姿を、私の言葉を聞いて笑顔になる彼らの姿を見たら、まだ私のままで生きていきたいなあって思えた。

 寒さは人を弱くする。でも、それがあるから“救い”が輝くのだ。私がしていることは「“救済”の消費」なのかもしれない。でも私は、私のままで生きていく手段をそれしか知らない。私のままで生きていっていいのかどうかも分からない。その答えをツアーファイナルに求めてしまっている節もあるが、それが正解かどうかはもう少し生きてみないと分からないんだろうな。

 

 このツアーが終わった時、私は何になるんだろう。